歌舞伎観劇・坂東玉三郎さん
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の放送が再開された。
このドラマに歌舞伎役者の坂東玉三郎さんが出演することになった。
美しい帝といわれている「正親町天皇」役である。
玉三郎さんは、歌舞伎出演だけではなく、NHKでは歌番組、
その他にも民放ではトーク番組には出演歴があるが、
しかし、ドラマ出演は始めてある。
ご本人の話では、かなり緊張されたとか...
放送が楽しみである!
玉三郎さんは、ご自分で映画監督もされるし、映画出演の経験はある。
歌舞伎では、座頭(ざがしら)が演出も手がけるのが常である。座頭の経験も豊富である。
(日本・ポーランド合作映画)
また、2000年から2010年までは、太鼓集団「鼓動」の舞台造りのために、
本拠地としている佐渡へ何度も渡り、2012年からは舞台監督も務めれていた。
(鼓動と玉三郎さん)
玉三郎さんとの出逢いは、もうどのくらい前になるだろうか?
20代のOLだった頃から、始めは雑誌等であったが、
この世の人とは思えない何と表現したらよいのか、
この方を表現できうる言葉がないのではないかと想わせる
「坂東玉三郎」さん、その美しさにドンドン引き込まれていった。
玉三郎さんが、山鹿市(熊本県)に八千代座という素晴らしい芝居小屋があるが、今は朽ち果てようとしているという一通の手紙で、松竹の方と山鹿を訪れたことから、30年間、毎年公演をして下さっている。
年を経るごとに、八千代座までの道路には、真新しいお土産物屋さんが出来たり、
道路が綺麗になったり、平成13年には、建て直しをされ、明治期に建設されたときのように蘇り、天井絵も美しく再生された。
ずっと、簡易トイレに行列が出来ていた状態たっだのが、個数を増やして綺麗にしていただいて、楽屋も風が入ってくるようだったところも直され、芝居小屋の入り口からの歩道も整備されて、年々立派になっていった。
最初は、玉三郎さんは、25年を区切りとして、これからは若い世代の歌舞伎役者らに、活躍してもらおうと考えていらした、最後に毎年多くの見物客で賑わう
「山鹿灯籠祭」の踊りを地元の方々と一緒に、八千代座で踊られた。
ご本人が『「光陰矢のごとし」ではないですが、あっという間の時間でした。』
と感慨深げに話されていた。
あれから、5年が経とうとしているが、今年も秋に予定されていたが、この状況下で中止となってしまった。
博多座が出来るまでは、なかなか、近場で歌舞伎観劇が出来なかったが、毎年の八千代座公演を楽しみにしていた。たくさんの方と車で乗り合わせたりして、何度も訪れたものである。
坂東玉三郎さんは、梨園の出身ではなく、東京の料亭の子どもとして生まれ、
小児麻痺を患ったことで、幼い頃から、リハビリを兼ねて日本舞踊を習って来たが、日本舞踊の虜となり、守田勘弥という大名跡※1の歌舞伎役者を紹介され、
部屋子となり、芸養子から実際に養子となった人である。
今では、押しも押されぬ「立女形」※2である。
所作がすべてにおいて美しく、女以上のものである。
玉三郎さんが、舞台の上で、遊女の役で振り返っても色香のある女なのである。
(『籠釣瓶花街酔醒』かごつるべ さとのえいざめ、花魁・八ツ橋)
後進の指導のためと受理された人間国宝として、色々な若手を起用している。
近年までは、「壇浦兜軍記」(だんのうらかぶとぐんき)という演目の
遊君 阿古屋は、世中村歌右衛門と玉三郎さんだけが演じることができる大役で
あったが、平成30年から2年続けて、中村梅枝さん、中村児太郎さんの
二人の若手女形へ継承している。
(玉三郎・梅枝・児太郎)
大曲の舞踊は、踊り納めにされた演目もある。
まだまだ、舞踊も歌舞伎にも出演し続けてほしいと思っている。
(封印された鷺娘)
また、博多座で観劇出来ることを願うばかりである。
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※1:名跡(みょうせき)→歌舞伎役者の名前。名前だけでなく芸風や得意芸も受け継ぐ。
※2:立女形(たておやま) →女形の最高位の名称
写真(松竹・産経新聞・熊本県)